山形県の伝統工芸品

200年以上の歴史と現在

山形での和傘作りは1789年から始まったと言われています。1849年、水野藩が城下の下級武士に傘作りを奨励したことで、最盛期には100軒を超える東北一の産地となりました。
しかし、昭和30年頃から洋傘普及の影響を受け、古内和傘店が最後の1軒になりました。私の師匠である3代目の古内清司は2024年に亡くなり、これを受けて2名の弟子(横山純子氏・齊藤光)が後継者として活動を再開しました。

雪国仕様の和傘

山形和傘が昔から製造していたのは番傘です。雪が多く降る山形では、その雪の重みに耐えられるように骨の数が一般的な和傘より4本多い52本となっています。

時代の変化と蛇の目傘

 山形和傘は番傘の製造が主でしたが、時代の変化や需要に対応していく過程で、蛇の目傘も作られるようになりました。
 現在、蛇の目傘の一般的な骨の本数は44本ですが、山形では雪国仕様として48本を採用しています。骨の長さは44本の傘よりも少し長めになっています。